亀薬師如来 奉納者の記


京都市中京区錦小路・延命山亀龍院に

  「亀の台座の上に乗った薬師如来像」を奉納の記   

 

                                                                         亀谷 晋(かめたに すすむ)

 私こと東京都新宿区在住の亀谷晋(かめたに・すすむ)は、「亀谷姓の研究」をライフワークとして居り ますが、ここ数年は、亀に因んだ種々のこと等も併せて調べており、その中で「浦島太郎伝説」には大変興味をひかれています。この関係から、京都市中京区錦小路に「延命山亀龍院」(通称「亀薬師」)いう寺院が有ることを知りました。

 この亀薬師のご本尊は、『亀の背中に乗った薬師如来像』で、この像は、かの浦島太郎の息子が、母の実家即ち「龍宮城」に行った帰りに、母(乙姫様)がみやげに持たしてくれたものという伝説があります。『拾遺都名所図会』の巻之一に「亀竜院 錦小路新町の西にあり。真言宗、髄心院に属す。初めは淳和帝(786〜840)の御願にして、弘法大師(空海、774〜835)の開くところなり。亀薬師、寺内に安置す。金銅仏、一尺五寸ばかり。亀甲に立たせたまふ。古へ浦嶋太郎の子、竜宮より将来しけるとぞ」と記述されています。

 ところが、そのご本尊が、第二次大戦の混乱時に紛失してしまって、現在は無く、戦前に写された写真が一枚あるのみです。寺の言い伝えによりますと、この写真にある薬師如来像は鎌倉末期に作られた青銅製で、像の高さは一尺三寸とのことです。

 この薬師如来像は、亀竜院の近くで病人が出た時、必ず毎朝その家の家族の誰かが亀薬師に参詣し、薬師如来を乗せている亀の口に水を注いで願掛けをすると、亀は大層元気になって、龍宮へ出かけて行き、海神に難病を平癒してくれるように進言し、参詣者の願いを叶えてくれると伝えられていました。

 浦島太郎の話は、ごく一般的には作り話と受け取られていますが、この話の原点は「丹後風土記」に書かれたもので、それが「古事記」や「日本書紀」に取り入れられ、江戸時代後半に一部作り替えられて今日に至っている物語で、ある意味では日本建国の一課程を示すものとも言えます。また、浦島太郎の伝説を継承する神社等は、日本中の各所に存在します。日本書紀に記されているのは京都府北部の丹後半島の伊根町周辺のことを指すようですが、その西の網野町付近という説もあるようです。

 その他にも神奈川県横浜市神奈川区には浦島町、新浦島町、浦島が丘、亀住町という、浦島に因んだ町名や、浦島親子を祀った廟や墓があります。また、香川県詫間町は「浦島太郎の故郷」を村起しの中心としていますし、鹿児島県薩摩半島の最南端には龍宮神社があります。変った所では、長野県木曽福島の木曽川に「寝覚めの床」という観光地がありますが、そこにも浦島太郎を祀った神社があります。また、愛知県知多半島の武豊町にも浦島伝説があります。昨年七月には、京都府伊根町が主催して「浦島サミット、浦島シンポジューム」が開かれ、日本中の浦島愛好者が多数参加しました。

 このように日本中で親しまれ、日本人の誰もが子供の時に聞いた浦島太郎の物語を偲び、遠い昔のロマンに浸るのも一興かと思います。

 『薬師信仰』「因幡薬師と山陰地方の薬師信仰」大森恵子著・雄山閣出版社によると「亀の背中に乗った 薬師如来像」は、この京都の亀竜院の他に、兵庫県淡路島の洲本市物部と、兵庫県美方郡浜坂町藤尾にもあるとされます。

 兵庫県洲本市物部の第二十四番札所にあたる、亀谷薬師堂の本尊も「亀の背中に乗った薬師如来像」ですが、『淡路草』の上巻に「亀谷庵 万年山亀谷にある禅庵也 本尊薬師長三尺余乗亀像也 行基作 脇士右は達磨左は準提 堂瓦葺 寅夘向二間半に四間半」とありますが、この亀谷薬師堂は宝永三年(1706)に催行されたと伝えられるので、最初から祀られている本尊は、それ以前に造刻されたものと思われますが、残念なことに昭和四十一年の火災で焼失してしまい、その後地元の有志の方々によって再建され、現在は石造りの「亀に乗った薬師如来像」が祀られています。

 今一つの例は、兵庫県美方郡浜坂町芦屋の薬師如来です。ここの言い伝えでは「水を汲んで、薬師さんに供えると、亀が薬師さんを甲に乗せて龍宮へ行き、薬を貰ってきて、供えてある水に薬を入れてくれる。薬師に供えた水は、薬水だから飲むと病気が直るし、特にこの水で目を洗うと眼病が治る」と昔から語られています。

 残念なことに、天正年間(1573〜92)に、兵火に罹り薬師堂は焼失したが、文化四年(1807)に薬師堂を現在地に再建し、薬師像を納めて現在に至っています。

 このような次第で、現在「亀の背中に乗った薬師如来像」は現物が存在しません。折角亀の研究から辿り 着いた由緒ある薬師如来像が、この世に存在しないとは大変悲しいことです。そんな折り、私の友人で、愛知県瀬戸市在住の彫刻家に亀谷政代司さんという、日展・日彫展の会員で「西望賞」の受賞の新進気鋭の将来性が期待される作家と出会い、その方との雑談の中で、この亀龍院の失われた薬師像を復元して奉納しようかという話になり、京都・亀龍院の田村住職にその話をお伝えしたところ賛意を頂きました。

 今回制作した「亀の背中に乗った薬師如来像」は、亀龍院に残されていた写真を元に、「薬師如来像」は 出来るだけ原形に近い形を再現しました。台座となる「亀」の部分は、写真に写っていませんでしたため、創作したのですが、「浦島太郎の子息が龍宮から頂いてきたもの」であるとすれば、それは一般的な贔屓(ひいき)ではなく「海亀」の方が相応しいのではないかと考え、体形は海亀の特徴を強調したものとし、顔の部分は「贔屓」の特徴である耳を付けました。この耳は上に乗っている人の希望を聞き、また周囲の人たちの評判や意見を聞き取って、適切な状況判断をするためのものだと思われます。

 蛇足ですが、「亀の背の上に載せた像、または記念碑」の土台部分は、一般的には「亀趺(きふ)」とい う言い方がされ、龍に近い顔と、陸亀のような太い脚で表現されていますが、本来は「贔屓(ひいき)」という中国の架空の動物で、それに最も忠実に作られているのは、京都・比叡山の亀堂の記念碑であろうとされています。「贔屓」は記念碑や記念像の台座として本体を下から支えるというのが本来の意味で、そこから転じて「役者やタレントを贔屓にする」という意味に使われています。贔屓(ひいき)とは、本来は「自分が下積みとなって支える」ことで、贔屓の引き倒しなど持っての他であると言えましょう。

 そんな意味を確認しつつ、今回の薬師如来像を制作いたしました。

 なお、原形は青銅製とされていますが、二十一世紀の現在、必ずしもそれにこだわる必要もないと考え、作家の意向もあって、古来から伝わる「乾漆工法」としました。

「亀の背中に乗った薬師如来像」を奉納しようとする亀龍院は、日本の古都、京都市の中心部、錦小路にあり、参詣するのに交通の便も良く、住職の田村祐一さんはとても気さくな方で、しかも博学、かつパソコンやインターネットを駆使される近代的な楽しい方です。

 以上のような顛末で、この度「亀の背中に乗った薬師如来像」を京都・亀龍院に奉納することになりました。日本経済は不況の底にあえぎ、不愉快な事件が多発している今日故に、遠い昔から日本に伝わる伝説をベースとしたロマンを夢見て、少しでも和らぎのある社会の実現を祈念して、ここに奉納する所存です。

 

追記

 私の祖父は京都生まれの京都育ち。幼少の頃から仏教思想に馴染み、高野山や東大寺で学ぶこと数年、明治十五年、二十五才で上京し漢学を学んでいます。

 その後副島種臣伯爵、三条実美公爵、東久世通禧伯爵、勝海舟伯等の知遇を得て朝日新聞社の貴族院担当を経て、大正初期に東京富ケ谷に「名教中学校」を設立いたしました。この学校は仏教思想を根底にした学校でした。祖父亀谷聖馨は仏教、特に華厳経を専攻し、東大寺、国会図書館等にその著書の数点が現存しています。代表的な著作に『華厳聖典の研究』があります。

 私個人はキリスト教徒ですが、祖父が学んだ仏教にも若干の興味を持って居ります。

祖父聖馨が京都在住の時、どの辺りに住んで居たのかは不明ですが、残されて居る著書の一つ『謡琴』の一節に「明治三十五年八月二十七日、京都東山なる慈母の墓に詣で・・・」とありますから、この辺りのどこかに先祖の墓があると思われますが、現在のところ、その場所は不明です。

 祖父は上京後麻布や富ケ谷に住み、私の父母も東京生まれ、私自身も東京生まれで、先祖の地京都とは縁遠くなって居りますが、ここ数年何故か京都にひかれ、また「亀谷姓の研究」を通して京都でも沢山取材させて頂きました。京都には何故か「亀」ゆかりの場所が大変多く、その一つに、この度の「亀龍院」が巡り合えたという次第です。

 そんな意味で、先祖の地「京都」に『亀に乗った薬師如来像』を奉納することになったのも、祖父を初めとする先祖のお導きがあったのかも知れないと思ったりしています。

平成13年5月吉日

                                                                 亀 谷 晋(かめたに・すすむ)

                                      勤務先 〒170-0013 東京都豊島区東池袋2−13−14                                                                        文化シヤッター株式会社 社長

                                                                TEL  03−5391−0300
                                                                     FAX 03−5391−0301

 

奉 納 物:亀を台座とした乾漆製の薬師如来像

     (如来像の高さ=一尺三寸=約43センチ)

奉納場所: 延命山亀龍院  京都市中京区錦小路通西洞院東入

像の作者: 日展会員 日本彫刻会会員 亀谷政代司 愛知県瀬戸市北丘町164-3

発 起 人:  亀谷晋

奉納期日 平成十三(2001)年五月吉日

開眼供養 平成十三(2001)年七月八日(龍王宮祭の日)


                                                       

Copyright(C)Kiryuuin 2001.06.22
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